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WordPress-Beitrag 635 · Stand 2019-02-14 皆様、新年あけましておめでとうございます。 2019年度の新年射会は例年のごとく、1月1日午後1時より開催されました。今回は17名の参加があり、多くの人と一緒に新年の抱負を込めて初矢を引くことが出来ました。 個人的な新年の抱負は表現が困難ですが、一言でまとめると「簡素に引き、遠くで響かせる」です。この表現はあくまで第三者が居合わせたときに、自己の射がその空間でどう表現できるかといった課題に対しての答えとなります。従って、これをどう表現するかについては多くの異なったアプローチが考えられます。今回は、今現在の自分がまだ体現できていないものに対してのアプローチ方法の考え方を記載していますので、実際に出来た後の結果ではありません。しかしながら今まで取得したことを踏まえて、とりあえず今現在自分が正しいと思っている方向性ですので、習得が進めば「簡素に引き、遠くで響かせる」事にはならないとしても、「今思いつく事ができない良い結果」にたどり着けると確信しています。少しでも皆さんの工夫稽古に役に立てればと思い、まとめてみます。 簡素に引くと言う事 先ず、「簡素に引く」ことですが、これは外(第三者)から見て無理・無駄・隙のない状態と考えます。一方で内(本人)での心身の働きを観ると、必要な力が必要に応じて必要な箇所に自然に働くように、全神経と五感を最大に働かせている状態と考えます。通常は内部の各センサーを最大に働かせるように故意的に行うと、目付が厳しくなったり、内部エネルギーの大量消費を補うために呼吸が激しく粗くなったり、内部活動(感情や脳の働きを含めた)の活発度に応じて場にもその気配が伝わってしまいます。気合を含めた気配がその場に広がると、確かに見どころがあり、見るものを引きつける引力も強くなると思います。これは、審査でもよい結果に結びつくものと思います。しかし、武道的あるいは、武道を通して何を学ぶことが出来るか?という問いについて今現在考えている事は、その逆ではないかと思っています。技を習得することにより、技が見えなくなり、心身を鍛錬することにより、周りと一体化し隙も気配もなくす事ができるそのような結果となるように工夫するのが武道的稽古ではないかと考えています。これが弓を引かずとも正鵠を得る事ではないか?人を傷つけることなく、人と戦うことなく勝利する秘訣ではないか?そのように考えています。 今現在試みていることは、如何にして身体がその場を掌握し、それに応じで(頭や感情を介することなく)身体が行動できるかであります。そうすることによって気配を消すことができ、まさにその場の一部となることが出来るのではないかと思います。それにより、どんな状態下または、状況の変化(周辺の環境、道具)があっても身体が最適な行動を知り、適切な状況判断が身体レベルで可能となると思います。ようは故意的に意識を用いずに無意識下で行うことと考えます。言い換えると、意を用いずに肝を用いる。あるいは、無意で有為をなすことと表現できるかもしれません。[…]