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WordPress-Beitrag 772 · Stand 2019-03-01 人間は、他の動物と違い、思考することにより、現存しない仮想世界や、未来世界を想像することによって、道具、その使用方法、化学技術、文化慣習、言語等を創造してきた。また、そういった思考力のおかげで、人間独特の感情が生まれ、その感情が人間の行動を支配してきたともいえるだろう。この思考力を用いてスポーツ等では、自己暗示(記録を出す、試合に勝つ)が、良い感情(闘争心、やる気を起こさせ、アドレナリン等のホルモンを分泌)を起こし、それによって身体能力高まり、良い結果につながる仕組みは一般的になっている。 「その化学があなたを変える」( リチャードワイズマン著)という本には、その真逆の事が書かれている。ここでは「アズ・イフの法則」 と言われている。これは、「そうなりたいのであれば、そうであるかの如く行動すればよい」という事で、例えば 「既に幸せであるかのように行動すれば、幸せになる」 という原理である。例をあげると、何の感情もない状態で、顔だけニコニコし続けると、何のきっかけが無くても、そのうちに本当に幸せで楽しいように感じられる。(是非試してみてください)普通は、何か原因があって楽しいと思う感情が、笑うという行動を作ると考えるが、笑うという行動によって、楽しいと感じているという仕組みが正しいということらしい。[…]
WordPress-Beitrag 701 · Stand 2019-03-01 緊張して失敗を繰り返しながら、色々と試行錯誤しながら緊張に向き合ってきた。まだまだ、途中ではあるが、今回は現在の考え方を留めて記載したい。 昔は緊張したり、緊張しなかったり、又は緊張したことによって上手くいったり、全く上手くいかなかったりを繰り返してきた。緊張というのは、周りや他の人のせいでなく、結局は本人の意識の持ち方ではあるが、これをどうゆう風に克服できるのかという課題に取り組んできた。そういった中で「何故、自分は緊張するのか」が分かれば、「どうやったら緊張せずに済むか」という処方箋が出るのではないかと思い、色々と試してみた。例をあげると、 ①場慣れしていない(いわゆる通常とは異なる状況下で、場に飲まれてしまう)のを補うために、多くの模擬審査や、模擬試合を体験し、経験を積むことにより不安を解消する。 ②自信が十分でない(自身で力量の不足を感じる時)のを補うために、稽古量を増やし、出来る事はすべてやったと思うくらいの状態を作る。 ③意識過剰(持っている以上の力を出そうと努力する。又は必要以上に見せる射を行う。)を補うため、自己の力量をしっかり評価し、それ以上は稽古で、それ以内は晴れの場でという考え方をする。 このような稽古を進めていくうちに、自己暗示(これだけ場慣れしたからとか、これだけ稽古したからとか、自分のレベルが分かるから)の意識を働かせ、脳が経験則に従って、仮想未来に起こる状況がある程度想定される状態を作ることが出来れば、意識的に緊張しない状態にできるということが分かった。又、緊張して失敗する原因は、主には心身の凝りから来ることも分かってきた。無意識下で通常以上に精神的、あるいは身体的に凝りが出来ると、イメージ通りの身体操作が出来なくなってしまう。そういった事から、通常の稽古でも、晴れの場でも、常に無駄な凝りを除くことに努力をすることになった。これは、「何故緊張するとうまくいかないことが多いのか」という一つの回答が導き出されたとも言えるだろう。[…]
WordPress-Beitrag 676 · Stand 2019-03-01 Samstag um 5 Uhr war ich[…]
WordPress-Beitrag 726 · Stand 2019-03-01 黒田鉄山(第十五代振武館宗家)という武道家が遅早不二(遅い動きでも早い)の説明をしている。要約すると、型として伝えられている術技的身体操作は言葉で言い表すことが出来ないので、その理論を型によって表現していると語っている。また、武道の型には非日常的な物が多く、それを繰り返し行うことによって初めて身体が武術化するとも言っている。反対に日常の筋肉の使い方は武術では邪魔になるともいっている。 ユーチューブ等で黒田鉄山の動きが紹介されているが、その凄さが言葉で表現できないほどである。隙の全く無いところから起こりがなく、軸がぶれず、モニター前で見ているだけでも意を突かれた状態となる。武道の神髄とはこんなものなのかと思わせる身体操作である。その黒田鉄山が語る遅早不二について聞いたとに思わずはっとなった。これは絶対的計測可能なスピードの事を言っているのではなく、①武道の型は見えない(起こりのない)動きの理であること。②非日常的な型(術理)の身体の動きは、反応できない技となる。 今まで基本体、射法八節の稽古の中で漠然と型について何か少しづつ分かり始めて来てはいたが、今改めて、型の稽古とは何か、型が何を教えてくれるのかが見えてきた気がする。今までは最終的には「自然体」が理想という概念があり、型を繰り返し稽古することにより、自然の理が理解でき、身体レベルで自然とその環境で最適な動きができるようになるのが良いことであると考えていたが、それは、もしかしたら外から見た第三者がそうゆう風に描写するだけではないかとも考えられる。 これは、弓を引いている本人の心境と、それを見ている人の違いと同じである。射手を見ている人は、動作が全く無駄のない自然な動きで、離れも全く作為のない自然の離れであったと思うが、実際に弓を引いている射手は、黒田先生の言葉を借りると、内部的には、一定方向へ一定の速度で動き続け、(即ち外から見たら不動)術技的身体操作(非日常的な術として)をもって、相手(見ている人)が見えない内部の動き、反応できない離れを成し遂げる事ではないかと考える。そうするといわゆる意を突かれた離れであるので、実際の離れの速度に関係なく、外から観察している人間にとっては「神速」であったと感じるだろう。 型とは、非日常的身体操作により形成される術技として理論であり、この理論は全て型に包括されているが、具体的に言語で語る体形とされていいない。その理論は身体操作によってのみ体現できるものとなっている。従って、いわゆる「口伝」というものは、この型に包括されている術理によって何か可能であるかを伝えたものであったのではないだろうか?であるとすると、黒田鉄山先生の言葉は正に武術一般の型の考え方に対する「口伝」ともいえる。今回はこの先生の一言で道が明確になったような気がする。次の一射からは新たな挑戦が始まるかと思うと今からワクワクする。