コロナ渦での弓道の稽古「術」と「道」について

2020年11月からコロナウィルス拡散防止策としてスポーツクラブ活動は禁止された。これを受け個人道場も例外ではなく、クラブの稽古は今のことろ1月10日まで行うことができない状態である。個人的に行うスポーツは制約がないので、希望者に道場を解放して安土の準備道場整備をきちんとすると言う条件で各自が都合の良い時に弓を引いてもらっている現状だ。

当の本人は自宅に道場があるので好きな時に好きなだけ引ける条件はあるのだが残念ながら活用できていない。クラブの稽古の様に定期的に行われれば自分の稽古に加え、参加者への指導もあるので参加するが自分の稽古ためだけはどうしても腰が重くなっている様だ。但し、弓矢を採っていないので稽古は全く行っていないかと言われると、きちんと稽古を行っていると思う。

ここからは私的な考え方になるが、弓を引いて的に向かって矢を放つ行為は「術」として鍛錬をすることにより的中の正確性、貫通力、弦音の冴、矢飛びの鋭さを向上させることである。ただ「道」として考えた場合は、弓矢を用いて自分の身体を覚醒し、場を掌握し自然界の摂理を理解し、体現し、社会に良い影響を還元することではないかと思う。

この様に目的によって弓を「術」を磨く手段として使うか、「道」を極める手段として使うかによって違ってくる。

「道」を極めるためであれば弓がなくても日頃の立ち振る舞いの仕方、場の掌握、周りや相手への配慮等いくらでも稽古の場はある。この様な日常を「日頃」とし、弓を引く時を「晴れの日」と考えると、弓を引かない日頃を稽古とし、弓を採って矢を引く時は稽古を活かす晴れの場となるのではないだろうか?

しかし、上記の様な相乗効果を生み出すためには長年弓を引かないと感覚的には解らないであろう。当然であるが初めは弓・矢の操作方法を学び的中を覚え、試合等で楽しみを得て、昇段審査を稽古の励みとしながら年数にして5・6年くらいだろうか、レベルにして3段を超える頃から弓の稽古の上達のためには心の持ち方が重要であると気づく様になる。個人差も当然あるが10年を超える頃から日頃の生活習慣が弓に及ぼす影響が大だと気づく様になる。この辺から渾然一致としていわゆる射即人生が始まると言えるだろう。

特に現代ではプロとして弓を引いて指導している人は皆無であろう。我々一般人が趣味として行っている現代弓道であるからこそ、少ない時間を使って弓を引き、日常に最大活かせる様に活用する様にした方が良いと考える。コロナ渦で弓が引けなくとも大いに稽古の場を設けて欲しい。