一流と二流の違いはどこから来るのか?

人間は、他の動物と違い、思考することにより、現存しない仮想世界や、未来世界を想像することによって、道具、その使用方法、化学技術、文化慣習、言語等を創造してきた。また、そういった思考力のおかげで、人間独特の感情が生まれ、その感情が人間の行動を支配してきたともいえるだろう。この思考力を用いてスポーツ等では、自己暗示(記録を出す、試合に勝つ)が、良い感情(闘争心、やる気を起こさせ、アドレナリン等のホルモンを分泌)を起こし、それによって身体能力高まり、良い結果につながる仕組みは一般的になっている。

「その化学があなたを変える」( リチャードワイズマン著)という本には、その真逆の事が書かれている。ここでは
「アズ・イフの法則」 と言われている。これは、「そうなりたいのであれば、そうであるかの如く行動すればよい」という事で、例えば 「既に幸せであるかのように行動すれば、幸せになる」 という原理である。例をあげると、何の感情もない状態で、顔だけニコニコし続けると、何のきっかけが無くても、そのうちに本当に幸せで楽しいように感じられる。(是非試してみてください)普通は、何か原因があって楽しいと思う感情が、笑うという行動を作ると考えるが、笑うという行動によって、楽しいと感じているという仕組みが正しいということらしい。

身体(行動)が感情と思考を左右する例として、パートナー同志でバンジージャンプを行ったり、ホラー映画を観たりすると、その行動により、心拍数が上がりドキドキすることがある。これは身体の危険信号としての反応であるが、そういった身体にとって危険と思われる状況を恋人同士で共有すると、相手が好きであるのと錯覚するのは有名である。よって、身体の反応(ドキドキする)によって、感情が生まれ、思考に影響を与えていると言えるだろう。又は相手の好意を引くために、身体が作る感情を利用して目的を達成することもできるであろう。

このように身体(行動)は、感情や思考に大きな影響を与えるのだが、この仕組みを弓道で活かすためにはどうしたらよいだろうか?皆さんも道場で着物を着て引いている人と、稽古着を着て引いて引いている人を同時に見た場合、着物を着ている人の方が上手に引いているように感じられるのではないだろうか?不思議なもので、着物を着ているから上手に見えるのでなく、多くは「上手だから着物を着ている」という経験則に基づいた判断をして、射手を見ているからである。従って、この錯覚を射手本人が使うことによって、自分が上手になった(自分のレベルが上がった)時の行動をとれば、そのレベルになれるという事もできる。具体的には、良い道具を使用したり、良い着物を着用し、既にワンクラス上のレベル相応の「行動」をすることによって、自らを錯覚(現実が既にそこにあるかのような)させることによって、錯覚を現実にすることも可能となる。

反対にいつまでも同じ道具を用い、通常の稽古を稽古着を着ずに普段着で行っていると、本人は長年真剣に弓を引いていても、その行動レベルが変化しないと、なかなか実際のレベルも変化しないというケースが多く見られる。具体的は、行動パターンに変化がなく、同じ道場で、同じ仲間と、同じ時間帯で、同じ場所、同じ状況(空調のきいた室内での練習場)で、しかも同じ道具を使い続けている状況である。皆さんも思い当たらないだろうか?弓道を始めて直ぐの時は、道具に慣れる為、場に慣れる為に出来るだけ同じ道具で、同じ場所で稽古することが望ましい。但し、この初心者にとって最適な条件を何十年も継続すると、初心者のレベルの殻を破るのは容易でないであろう。特にクラブの指導者が自らそういったスパイラルに陥った場合は、その他の生徒も自然と同一スパイラスに陥りやすい。そうすると多勢の相乗効果が働き、更に同一パターン化してしまいやすくなる。

一方、一流の人は同時期にどうゆう行動をしているかというと、多くの違った道具に触れ、常に道具の調整を繰り返し、その道具に合うように錬磨し、稽古内容も工夫し、対外の試合、講習会に足を運び、傍から見ると、常に能動的に変化を求めているような行動をとっているだろう。もしクラブの指導者自らそういった行動をとっていると、その他の会員も自然と多くの道具に触れる機会が増え、外で新しい刺激を得る機会が増え、本人は特別な事を行っているという認識はなく、その行動パターンしか知らないので、知らず知らずに上達をする結果となるのではないだろうか。

この事から、普段の行動パターンが人間(弓道)を形成するのに重要であると言える。このとこは有名なスティーブンR.ゴーフィー著の7つの習慣にも説明されており、成功者が7つの習慣を行っているのではなく、7つの習慣(行動)を継続して行っているので成功者になったという考えである。

この7つを弓道に当てはめてみると、①主体的であること(影響されるのではなく、影響を与えるようになること)は、能動的に自分で何時、何処で、どんな稽古を行うかを決定する。②ミッションステートメントを作成する(自分の墓石に自分は何を行ったのかを明確にする)明確な自己の最終地点を決め、それにたどり着くための明確な信条、行動を明らかにする。(同じことを繰り替えしても、レベルは同じか、年齢とともに減退する。ゴールにたどり着くためには、一射毎、わずかでも前進できるような引きかたをしなければならない等)③優先順位を明らかにする。②にたどり着く為の最善策を選択し、それに集中する。④Win Winを考える。 自分だけが上手くなれば良いと思う行動は、他人の協力を得にくい。あくまで皆で上達しよう、自分の行動が多勢の利益になるような行動は、周りからの協力が得られ、それによって自分一人では得る事の出来ない利を周りのサポートによって得る事につながる。 更に、周りのレベルが飛躍的に伸びるとその相乗効果で自分もそれに乗じる事ができる。⑤先ずは相手を理解し、自分を理解してもらう。自分で自分を理解するのは難しい。従って、相手(弓・矢、周りの環境、条件)を理解することに努め、その相手から自分を理解してもらうように稽古する。⑥相乗効果を生み出す。一つの課題が克服されて一つレベルが上がるのではなく、一つの課題をクリアーすることによって、一気に全く別の次元(数では数えきれない)にたどり着けるような課題を見出す。刃を磨く。これは、弓道を通して継続的に自身の身体、精神、知識、社会貢献等、全ての面において磨き続けることを意味している。高山推車の心境である。これらの成功の秘訣は弓道でもそのまま当てはめることが出来る。

このように見ていくと、一流になるため(あるいは弓道が上達するため)には、既に一流であるかのような行動を、既に一流の人から学び、その習慣を継続して行動することによって形成される、成功(上達)の慣性力を作る事である。よって、よく武道では「良師は何年かかってでも探す苦労を惜しむな」と言われる所以であろう。一流の師についても、皆が一流になれないように、師から教えてもらうのではなく、自発的に師が言葉に出来ないものを盗めるかであると考える。

昔の日本の職人は、その道の一流の職人の家に泊まり込みで修行をし、師匠からは口ではほとんど教えてもらわないと言われる。但し、一流の人間と一緒に生活をしているうちに一流の人と同じ生活リズムやスペースを共有し、一流の人の思考・行動パターンが自分の身になってくるうちに、どうして師匠が一流であるかは説明できないが、他の二流の職人に出会ったときにその違いが明確になるだろう。少なくともその理由は、「一流とは違う行動(仕事)」をしているからである。また、長く一緒に生活していると以心伝心と言われるように、コンピュータを介さない、コピー&ペーストが行われる。従って、元データが二流であれば一流のデータの貼り付けが出来るわけがなく、また、データが一流でもコピーがしっかりと行われなければ、貼り付けのデータも中途半端となるであろう。又OSの互換性がないと、コピーが完全に行われたとしても、読み込みが不可能という可能性もある。これは本人が師匠を理解できる(OS)レベルにないという事である。

近年では弓道の指導もいわゆるスポーツ化してきており、指導者が率先して、生徒に手ほどきを教える方法が増えつつある。このように生徒が教えてもらう事に慣れ、自発的に学ぶ事を忘れると、見た目早く上達(例えば競技で高的中を得る)しても、武道としての上達(いわゆる格を上げる、身体能力を向上させる、周りの環境の変化を掌握できる)につながらないと考える。当然時代の変遷と共に、指導方法も変わって行かなければならないが、温故知新と言われるように、過去の資産を使って時代にあった新しいものを創造し、それを次世代への資産として継承したいと思う。今後は自ら指導者として、「良い師」となれるよう努力したい。